2007-03-28 第166回国会 衆議院 内閣委員会 第8号
益谷さんが発言の途中に、既にして、調印された日華条約において、中国ですね、日華条約においては、戦犯者に対する条項は、国民政府においてこれを放棄し、これが批准の暁には、関係戦犯者は即日釈放せられる。また日印条約においても、インド政府が進んでこの条項を放棄せられた。こういうことが書いてあります。
益谷さんが発言の途中に、既にして、調印された日華条約において、中国ですね、日華条約においては、戦犯者に対する条項は、国民政府においてこれを放棄し、これが批准の暁には、関係戦犯者は即日釈放せられる。また日印条約においても、インド政府が進んでこの条項を放棄せられた。こういうことが書いてあります。
ただ、私どもとして一番肝心なところは、いざというときには日米安全保障条約というものが条約どおりきちんと作動するようにしておくのが我々の仕事なんであって、基本的には契約とか条約なんというものは単なる一枚の紙っぺらですから、そういったものは何の役にも立たなかった例というのは、これは日華条約を一方的に破棄した日本自身がやっていますので、過去の例もありますので、そういった意味では、私どもとしては、こういったものが
すなわち、日華条約をなくすということでしたから、当時の自民党の中の右派と言われた台湾派の議員さんたちは烈火のごとく怒ったわけでありまして、それが今も私は余韻を引いているというような印象を、時々、自民党の動きを見ていて、チルドレンとか、わからない方たちもいっぱいおられるから過去のことをやはり申し上げた方がいいと思うんですけれども、そういう非常に根の深いものがあるというふうに思います。
それは日本はやったから、一九七二年、日中条約締結のときは、それまであった日華条約を、中華民国の方に瑕疵が一つもなかったけれども一方的に破棄した、事実でしょう。したがって、条約というのは、一方に瑕疵がなくても片方から一方的に破られる可能性があるというのは、我々が破った経験があるから、少なくともそれは、こちらも破られる可能性があるというぐらいのことは常に心しておかねばならない。
私ども、少なくとも一九七二年まで日華条約というのを結んでいたわけですから。
○亀田政府委員 台湾につきましては、厚生省でとった措置ではございませんけれども、日中共同声明によりまして日華条約が失効した、そういうことで平和条約に基づくところの二国間の外交交渉というものが不可能になっておる状態、そういうことに着目して、二百万円だったと思いますが、弔慰金あるいは見舞金を支給した、こういうふうに聞いておりますけれども、韓国につきましては、先ほどから申し上げておりますように、日韓協定というものがございまして
この方たちは、台湾人兵士に対する補償というので、一九五二年の日華条約で両国間の交渉にゆだねられましたが、その後、日中共同声明で条約が効力を失ったため宙に浮いてしまったという不幸ないきさつがあるんですね。同じ日本人として戦地に駆り出されて死傷したのに、戦後、国籍を失ったために戦傷病者遺族援護法や恩給法の適用を受けられないというのはだれが見てもこれは不合理な話です。
やはり周恩来総理がああいう英断をもってこの賠償を放棄したというのは、これは日華条約以来の経過が御承知のようにありますけれども、そのことは触れません。 私は、やはりこの際、この二十年を期していま少し中国のそういった賠償問題が起こってくる社会的な背景というようなところへ心を向けて、この問題に対しても対処していく必要があるのじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。
そういう日華条約と日中共同声明との関係について考えた上で申し上げたいのですが、そもそも日中共同声明は、他の協定などのようにサンフランシスコ条約の枠組みの中でなされたものと、こういうふうに考えるべきではないと思います。それは、「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。
それだけに、各省庁で御検討いただくことはもとより結構でありますけれども、何としてもこれを解決する、こういう立場で進めていただかないと、今まで繰り返し繰り返し言われておる、日華条約の関係がどうだとか、他に波及するとか、こういう同じことをまた各省庁で繰り返しているだけでは、公のものになっただけに、関係者からも、日本民族とは何と血も涙もない道義をわきまえない国民なんだろうという形で、かえって悪化してしまうことを
今回公開した記録は確かに三十年前の記録ですが、その間ちょうど日本が独立期に入った前後ですから外交文書も大変膨大なものになっておるわけで、またその中で非常に重要な、行政協定あるいは日華条約とか、いろいろのものがあるわけでございます。
にもかかわらず、日華条約が無効になってこの種問題について特別取り決めが不可能になったとか、サンフランシスコ条約の発効によって彼らは日本国籍を失いその権利は消滅しているとか、これは彼らには全然関係ないことでありますが、そういう手前勝手なことを言いまして、日本政府からは戦後四十年間今日まで、たった一文の弔慰金も遺族扶助料も遺族年金も支給されず、放置されたまま今日に至っておるわけでありまして、まことに無情冷酷
ただ問題は、日中国交の回復によりまして日華条約というものが失効したために今日までその解決を見なかった、これが大きな理由でもございます。したがって、日台間の国交がないということ、また日台間の相互の全般的ないわば財産請求権問題、いろいろの問題が絡んでおりまして、しかしこういう問題がありますけれども、私どもは何とかこれを解決をしなければならない、こういう気持ちは私どもは十分持っております。
これは日本の国籍を現在有していない、こういう結果ああいう結論に相なったわけでございますが、私は率直に、日華条約もなくなり、そういう中でああいう判決はやむを得ない、しかし私個人の考え方としては大変気の毒だと実は思っております。ただ、この問題につきましてどうこれを処理するか。
にもかかわらず、日華条約が無効になってこの種問題について特別取り決めが不可能になったとか、サンフランシスコ条約の発効によって彼らは日本国籍を失いその権利は消滅しているとかなんとか、これは彼らには全然関係のないことでありますが、そういう手前勝手なことを言いまして、日本政府からは戦後三十七年たった今日まで一文の弔慰金も遺族扶助料も傷疾年金も支給されず放置されたまま今日に至っておるわけでありまして、まさに
○米沢委員 まあこれは水かけ論ですからこれでやめますけれども、附則の二に書いてある当分の間適用されないというだけであって、その当分の間、結果的には日華条約は失効したという、そういう不幸な事案によって結果的には取り決め自体ができなかったというだけだから、私は、この当分の間の、そのとき保留された分については、まだ生きておると思うのですよ。生きておると思う。
その当分の間というのが、とうとう日華条約が失効してサンフランシスコ平和条約ができたものだから取り決め自体ができなくなったというだけであって、取り決めができたらこれは補償されるたぐいのものじゃないですか。
これは法治国である日本の裁判でございまして、しかも、いま日華条約というものがなくなり、日中友好条約ということになってしまいまして、台湾の元日本兵、当時におきましては蒋介石との間に、いわばこの兵隊に行った方々の軍人としての給与の問題、そしてまた日本の、日本人の台湾における財産権の問題、こういう問題の相互の解決を図るべく実はやっておりましたけれども、昭和四十七年に日中国交回復ができたためにそれが中断をされるということに
○柄谷道一君 その後四十七年九月二十七日、政府が日華条約の終了を宣言いたしまして国交関係が絶えたわけでございます。その間約二十年あったわけでございますが、この特別取り決めが行われなかった理由は一体何であったんでしょうか。
それから、その共同声明が出ました結果、それに伴う随伴的な効果として、日華条約はその基礎がなくなって消滅したというかっこうになっておりまするが、しかし、さればといって、中国という国との間の戦争状態がまたそこで復活するというような、そういうことは毛頭だれも考えておらないということを申し上げておきます。
したがいまして、昭和二十七年の八月五日に効力が出ました日華条約によって日本と中国との間の戦争状態は終結した、これは明文で書いてあるわけでございまして、そのとおり、その時点で終結したとわれわれは考えております。
しかし、戦争の終了とかいうような国対国の問題は、これは交換公文と関係なく、日華条約によって戦争は終了しているのだという答弁を繰り返し政府の方ではやっております。
○国務大臣(園田直君) 事務当局と私の答弁が、いささか感じが違うような答弁でありますが、これは正直に申し上げますと、日本の政府は日華条約で終えんという立場をとったわけでありますが、革命政権でありますから国家継承権はとらない、これは無効であると中国は真っ向から否定しているわけであります。
○国務大臣(園田直君) 戦争状態の終結は、日本政府としては、日華条約の締結によって終了したという立場をとっておりますが、いずれにいたしましても共同声明、今度の友好条約によって終結したものと考えます。
したがいまして、日中共同声明が発出された時点におきましては、日華条約、特に処分的条約を持っている条約の規定につきましては有効に存続していたという立場に、当時日本政府は立っていたわけでございます。しかしながら、ただいま先生仰せのように、共同声明の中ではございませんが、共同声明調印後の記者会見において大平大臣がこの条約について述べられたというくだりは、そのとおりでございます。
私は立場は違うけれども、かつて西村条約局長の時代、日華条約の条約技術を見て、蒋介石一派があれほどはやりにはやっているのにもかかわらず、自分の現に統治していない地域における主権というものを認めない断固たる条約をつくり上げたというのは、あの段階においても私は世界の条約の歴史の中において画期的なものだと思いますが、あれ以上に新しい歴史をこの条約の中にぶち込んだ。